投稿日: Sep 30, 2015 1:24:8 AM
オリンピックのエンブレムをキッカケにネット上では意匠の類似を指摘した書き込みが山ほどあったが、それらで騒いでいる人が真剣に何か考えているとか問題に立ち向かっているようには見えない。単に野次馬に過ぎないのではないかと思ってしまう。それは日本が発想のオリジナリティを尊重するようにはなっていないからである。街を歩いても、Webやケータイでも、やはり金太郎飴のようなビジネスやサービスであり、それに使われるメディアや意匠も、基本的には似たもの同士が大多数を占めている。そんななかにどっぷりと浸かっている人がデザインの類似がケシカランみたいな話をするとすると、茶番である。
日本でもオリジナリティあふれる時代は時々あったのだが、今は若者もリクルートスーツを着て会社説明会に群がっている姿を見るとがっかりする。自分の子供の大学の入学式には行かなかったのだが、聞いたところによると新入生はスーツ姿で集まっていたそうで、精神的な北朝鮮化は若年齢化してるように思える。日本の首相も金晋三になりたがっているのかもしれない。日本人の半数くらいはそれに黙ってついていくのであろう。
反骨精神のありそうな若者をみると、かえってホッとする今日この頃である。
社会に変革を求める声がないわけではないが、役所とか学校を見ていると、大方の人は変える気はないのだと思わざるを得ない。それで私のように新規プロジェクトのコンサルなどしていると、大抵は頓挫することに付き合わされるのだが、それでも希望の持てるところはオーナー社長が本気になっている場合である。サラリーマン社長の場合はどうも期待道理には行きそうにないなとなって雲行きが怪しくなると、穏便に店じまいをする方向に動き出してしまう。この場合は失敗から学ぶということはあまりなく、リスクを避けているだけである。
結局は失敗から何かをつかみ取るとること無しには前には進まないのである。プロジェクトの頓挫は運が悪かったことも多いのだが、どこが運の要素で、どこがうまく機能していて、どこが足りないかという、かなりきめの細かい反省が必要である。それを通じてしか、強みを強化することはできない。失敗の中から強いところを鍛えていくという発想で、運を待つしかないのだろうなあ。
言い方を変えると、叩かれて強くなろうという気構えかもしれない。ITベンチャーとして出発したはずなのに、いつの間にか受託開発になってしまった会社は多いが、リスクを避けてばかりいるとSOHOに埋没してしまうように思う。