投稿日: Nov 10, 2012 12:55:35 AM
形骸化が進んでいると思う方へ
田中真紀子大臣の唐突な行動に批判はあるものの、認可の前に校舎建設とか教員採用をしているというのは、大臣はメクラ判を押すのが仕事ということだから、この文科省の大学申請システムには問題がある。つまり官庁の担当者が勝手に動けるということだから、行政でやっていることの個別のベクトルは合わなくなり、経費がかかる割には成果が無いという事態になる。これは一事が万事で、総論賛成各論反対があたりまえで、個別に無数に補助金をとりあうようなことが起こっている。田中大臣の個人の問題もあったとしても、大臣に適切なブレーンをつけない政党も問題だろう。これは民主党に限ったことではなく、政治家が官僚にバカにされる理由なのである。
日本の大学の話に戻って、少子化によって高等教育の進学率は上昇していったが、大学志望率55%台、大学進学率47%台に達しているものの、もうここ数年飽和状態である。これは毎年66-68万人が大学に入ることで、それを1000ほどの大学がとりあっている。センター試験を利用しているところが683校、実質的に入試競争の目標校は数十校であろう。だから大学生の9割は肩書きよりも実力を示す何かを身につけないと、社会に出る際のアドバンテージにはならない。多くの大学にとって必要なことは漠然とした教養ではなく、学生がそこで何かを得たことの承認をすることだから、今のように簡単に進級や卒業をさせていたのでは、高額な若者向けサロンでしかなくなってしまって、大学そのものの存在感や社会的意義が薄れていく。
言い換えると、この大学の卒業生なら、こんなことが期待できる、というモデルを各大学は作る方向に動いていて、そこでは実は受験などどうでもいいのである。個別受験に変わるものとしてセンター試験があるし、それ以前に業者の模試の結果でも統計的にそれなりの古いわけは可能である。むしろ一発限りの受験よりは模試の成績の推移の方がブレが少ないはずだ。あとは面談や論文・作品・実演などで選考したほうが、一律の受験戦争よりはよっぽど個性化した高等教育ができるだろう。そして大学では訓練・養成・評価を繰り返して篩い分けて、卒業をさせれば、各大学のモデルはできていくだろう。
このようなことは欧米では当たり前で、入り口は広く敷居が低く、いったん入ると厳しいものとなる。入学数の半分も卒業できない大学はザラにある。だから経営的には日本の大学とは異なるので、受験収入に依存する現状からの脱却が必要になる。新たな収入源として補講や資格取得のエクステンションを大学で行ったり、大学がセミナー屋になるような面もある。アジアにDTPエキスパートの資格制度を展開することを考えていたときに、中国の大学もそういったエクステンションをいろいろやっていて、そこにDTPもはまりそうだという話もいくつかあった。
大学改革は大学だけの問題ではなく、場合によっては産業界との連携もあり、場合によっては専門学校との統廃合もあるような、大胆な進め方が必要だと思う。