投稿日: Nov 13, 2014 2:11:41 AM
日本社会は昔のような活力とか、根性とか、なくしたのだろうか?高度経済成長を懐かしがったり、戦後のドサクサが羨ましかったり、戦前の精神主義の復活を願ったり、江戸のしぐさが美談だったり、いろんな立場から復古的な感想が漏れ出ている昨今ではあるが、未来の手本が過去にあるということにはならないと思う。少なくとも過去のリアルな姿を記憶しているのは高度経済成長と戦後のドサクサくらいで、あとは後世の人が妄想したフィクションでしかない。
前職場は立正佼成会のそばにあり、創立30周年の折に創立前はどのようなところであったのかを探ってみた。戦後にそこは野原で畑にもなっていなかった。その場所では廃品回収業が行われていて、その一帯はテキヤ系のヤクザの一群が住んでいて、新宿近くの闇市を仕切っていた。その名残でその系の人が今でも住んでいる。地元の人が行きつけの店で聞き耳を立てていると、アタリ屋をしていくら稼いだ、というような会話がされていた。20年ほど前の話である。
その場に高度経済成長期に入って町工場がポツポツ出来て、印刷・紙工・製版などの事業所が町内ごとにあるようになっていった。それでも廃品回収の名残として古紙回収業者もいた。その頃の日本は今考えると「活力」とか「根性」というよりも、無茶苦茶なのが実態で、芸能界とか興業は、港湾荷役と並んでヤクザの代表的な仕事で、芸能でデビューすると「借金がこれだけになっている」といってタダ働きさせられた。自分の子供を芸能界に入れたいと思うような親はオカシイと思われていた。
印刷の仕事に就いてから、コンサートの宣伝物、サラ金の印刷物、総会屋の雑誌なども入ってくることがあるので、いろいろ内情も知る機会があったのだが、お金に関して世の中は魑魅魍魎というのが社会人の常識でもあった。ヤクザではない上場企業でも公害を垂れ流していたし、今でいうブラック企業をチェックしたら就職先がなくなるのではないか、というほどコンプライアンスとは縁遠かった。それが戦後ドサクサから高度経済成長の裏側であった。
一般企業も内情はドサクサだった。知り合いで商社に入って東南アジアに赴任した人は、向こうの役人に賄賂をわたすのが仕事だった。出版ジャーナリズムも企業の悪行を追及する一方で広告収入も稼ぐマッチポンプのようなのがいくつもあった。出版という仕事は必ずしもステータスは高くはなかった。不動産はヤクザと一緒になって地上げをしていた。立ち退かないところに放火する事件はしょっちゅうあった。
こういう「やったもん勝ち」のボロ稼ぎはバブル崩壊とともに下火になった。これは逆に言えば「やったもん勝ち」のボロ稼ぎがバブルを招いたとも言える。バブル後に日本はコンプライアンスに取り組むようになったのが実情である。
そしてコンプライアンスと「空白の10~20年」が並行していたために、コンプライアンスが日本経済の閉塞とダブってイメージされてしまうとか、過剰コンプライアンスから抜け出せないようなコンプライアンスのオーバーランのようなことも起こった。
しかしバブル以前のモラルに戻るわけにはいかないだろう。社会の成熟化には「オトナ化」という面もあって、売り上げや成長第一主義ではなく、サステナブルな経営や社会を目指すバランス感覚が身につかなければならない。利益も成長も必要だが、オトナとして人に後ろ指を指されない戦術ができるかどうかである。偶然の好環境の上で波乗りをしているだけの経営では、企業や組織活動は短命に終わる。それでもいいという人は、短命なうちに個人資産を蓄えようとする人だけである。
健全な活力をもったオトナの経営者がもし日本には少ないとしたら、その人の成長した環境にモラルを植え付けるものが少なかったのかもしれない。日本の政府が赤字国債を発行し続け、資金を市場にばらまき、バブルを続けているように見えるのは、日本のエリートのモラル欠如の典型に思える。
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