投稿日: Dec 31, 2011 1:40:20 AM
ソーシャル云々は玉虫色と思う方へ
ソーシャルメディアの話題を採り上げているサイトには、マーケティングの話のほかに、時々ソーシャルビジネスの話が出てきて、オヤと思うことがある。マーケティングの話はメディアやコミュニケーションと関係していることはわかる。それらが多様化すればマーケティングも複雑になるように見える。一方でマーケティングということを突き詰めていくと、手段が何であってもかまわないというところに行き着く。ここにマーケティングの専門家とソーシャルメディアのエバンジェリストの間でしっくりいかないことが明らかになった2011年であったと思う。
マーケッタからすると今のソーシャルメディアで出来ることは相当限定されているので、エバンジェリストの語るばら色の夢は、もっとマーケティングを知ってから言えということになるのだろう。記事『ソーシャルメディアへの3つのアプローチ』では、アメリカでの成功例も、個別によく検討すると、その企業はソーシャルメディアが無い時代でも立派にやっていたことを書いた。また日本の企業は今のWebでのお客様対応でも不十分なところがあるので、それをそのままにしてソーシャルメディア活用には進めないことも書いた。ソーシャルメディアは単なるメディアの一つという側面が第1で、エバンジェリストが勇み足でソーシャルメディア・マーケティングという魔法の方策を掲げても、皮を剥いていくと中に何もない玉葱のようなものである。
ソーシャルメディアとソーシャルビジネスはどこかでつながっているとしても、日本の大企業がロングテールの典型のようなソーシャルビジネスを模範にする要素は少ないだろう。マスなビジネスは顧客を匿名化して扱っているので最大公約数的な商品開発をしているのに対して、ソーシャルビジネスは福祉のように生活者ごとの個別の状況に対応するものだから、アプローチが異なる。しかし保険のように個別の状況を対象にしながら、介護のように日常のサポートをすることは、個別情報をネットで集約できる時代にあっては、今後何か新しいビジネスモデルができる可能性はある。ネットの時代になって町の花屋さんでフラワーギフトを可能にしたようなものである。ソーシャルメディアをソーシャルビジネスとの関係でビジネス開発のきっかけにするというのが第2の側面である。
マーケティングの人が見落としているものにソーシャルメディア上の膨大なデータを処理してビジネスに活かすということがある。記事『開票前から当選確実の時代/統計を活かせ』では、商品のマーケティング調査よりも選挙の方が進んでしまったのは、広告代理店が行っていた手法が科学的ではなかったからだと書いたが、いわゆるビッグデータが広告を変えてしまうことに無頓着で、これは背後にあるテクノロジの話についていけないからだろう。広告の人がfacebookの議論をした際に、「いいね」の内容を分析したい言った事があるが、それは自然言語処理でセンチメント分析が行われていることを知らないからだと思う。
日本の広告がクリエイティブに引きずられていて、アメリカ的な客観主義とは違っていた点も影響している。ソーシャルメディアの第3の側面というのは世論の見える化をビジネスにフィードバックすることで、広告の機能の一部に置き換わることであろう。