投稿日: Aug 18, 2014 12:24:11 AM
古い話になるが1960年代前半というのは西洋音楽においては革命的な時期で、イギリスでは街のライブハウスでやっていた音楽を世界的なマーケティングに乗せてしまった。ライブハウスのロック自体はアメリカで生まれたもので、アメリカがロックの先輩で多くのミュージシャンを擁しているにも関わらず、その殆どは街の若者の間の音楽に留まっていたのである。これはレコードの流通の問題で、当時はロックを扱う全米ヒットチャートのようなものはなかったからだ。BillboardやCashBoxといった音楽業界誌はヒットをジャンル分けして扱っていたのだが、白人向けはポップスとカントリー&ウエスタンしかジャンルがなかった。当然ロックのヒット曲はあったが、それはポップスの中にカウントされていた。
BeatlesやRolling Stonesのデビュー前後の頃は、アメリカのR&Bのカバーソングが主流で、それはイギリスのレコード会社がアメリカのレコード会社と何らかの契約をしていて、イギリスではR&Bがポップスと同様にレコード店で購入できるとか、ラジオで流れるようになっていたからだ。その時代はポップスのヒットチャートにどんどん黒人のR&Bが流れ込んできていて、若者を惹きつけていた。
しかしBeatlesやRolling StonesはChackBerryとかヒットR&Bのコピーもするけれども、自分たちの嗜好としてはまだイギリスでは発売されていないR&Bの名作をカバーして、まるでオリジナル曲のようにライブで行っていた。イギリス盤が出ない曲はアメリカの45回転盤を輸入して売っているのとか、あるいはアメリカから通販でインディーズのR&Bレコードを取り寄せていた。British Rock 初期に登場した多くのグループは、自分たちの独自レパートリーのためにアメリカのインディーズを相当細かく追いかけるようになっていて、その中でBluesとの出会いもあった。
そしてBritish Rock の勃興とともにイギリスでもインディーズR&Bを掘り下げたLPレコードが出るようになるのだが、イギリスを代表する有名なレーベルでもアメリカの45回転盤から音を採って、海賊版のコンピレーションを多く発売していた。これらは日本のR&BやBluesマニアにとっても貴重なもので、それらを輸入して日本国内で通販することを学生時代にサイドビジネスとして行っていた。それはともかく、元のアメリカの45回転盤は、割と有名なインディーズなら通販で購入でるものであったが、ちょっと古いものとなると当時でもオークションなどで手に入れるしかなかった。
だからイギリスのレコード会社としても正規に音源の契約ができないものが結構たくさんあった状況だった。海賊版が下火になるのは1980年代になってからだろう。要するに初期のBritish Rock のエネルギー源としては、アメリカのインディーズを直接手に入れるか、あるいは海賊版LP(EPもよく出されていた)に頼るしか無かったのである。
これによってBritish Rock のグループもどんどん増えていったし、アメリカのポップスチャートに乗らない多くのR&Bが日本を含めて世界の非黒人の若者に知られていった。この海賊版がケシカランかどうかの問題だが、マニア向けの場合は最初に100枚プレスして、レコード店などにサンプルとして送り、注文をとりつけて1000とか数千枚をプレスする規模であって、そんなに儲かったとは思えない。
それよりも以前のレコード業界が紹介してくれなかった分野を誰でも聞けるようにしてくれたことの功績の方が大きい。これによってBritish Rock以降のRockは育まれたわけだし、それはオリジナルをしていた黒人ミュージシャンにも人々の注目が集まるようになったからだ。同じ1960年代前半からは、アメリカでも全国的には名前を知られていなかった黒人のR&BやBluesミュージシャンが、ヨーロッパ公演をするようになった。結論として、まず作品が評価されなければ、クリエータの存在が知られないのだから、作品を知らしめる最初の段階の海賊版はプロモーションと同じ働きをしていたことになる。
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