投稿日: Oct 08, 2010 11:15:55 PM
雑誌の復権は有り得るかと思う方へ
電通の売り上げを見ると相変わらず伸びるインタラクティブメディアとか、持ち直している分野もあるものも、一貫してダメな雑誌はもうすぐインタラクティブメディアに追いつかれ、追い越されそうなところまできている。ここからみると凋落メディアの代表のようなものだ。しかしよく考えてみると、これは広告モデルの行き詰まりであって、メディアのタイプとしての雑誌とは別問題である。日本の高度成長期から企業のPR誌が高級化して、今でも通販カタログも含めて雑誌のようなメディアは生活者を取り巻いている。雑誌を出す出版社のリストラの話も多いが、「オレ達も頑張っているのに」とはいっても、ビジネスモデルという枠組みが崩壊しているのでは現場の努力では如何ともしがたい。
かといって広告依存ではなく定期購読で雑誌経営ができるかといえば、それも大抵は難しい。過去から総合誌が飽きられる中でいろんな雑誌が立ち上がって、分野の細分化がされたので、みんな小さいところで食って行かざるを得なくなった。Macの雑誌が3つもあるようでは、今後の雑誌の成長は期待できない。日本は農業の集約化による大規模経営がうまくいかなかったが、産直で特徴のある小さい農業経営は熱心にやる国民性であるのと、どこか似ている気がする。アメリカは分野の細分化というのも時代とともにあるが、大きく育たないtなるとすぐに打ち切る。むしろ分野を見直すことで新しい雑誌コンセプトを作りだすことがある。WIREDなどもその例である。雑誌のモデルは収入と言う面だけでなく、社会に対する切り口と言う点で大きな転換を迫られているのかもしれない。
私は雑誌の編集長もしていたこともあり、雑誌には思い入れがあるのだが、その原点は子供の頃から家にあった「暮しの手帖」である。子供心に大変コンセプトが明快と思ったし、暮しの手帖の取り上げることならば興味を持ってみよう、というマジカルな「力」を感じていた。映画評を読んだ母が中学生の私をつれて「去年マリエンバートで」を見に行ったことがある。母親がとっていたので、ファッションや料理、医療・健康関連の記事が主だったように記憶するが、私は各種商品テストは暗記するほど読んだ。またコンシューマの視点でテストしていること、広告は受けないことなど一貫性を感じてすがすがしかった。実際に商品テストは日本のメーカーに大きな影響を与えて日本製品の品質向上に役立っただろうと思う。
今の時点で広告なしで「暮しの手帖」の二番煎じは不可能だが、雑誌を世に提示する以上、誰でもわかるコンセプトは掲げないと相手にされないだろう。広告モデルを優先しすぎてコンセプトがボケるくらいなら、広告を無視して手作りメディアとして再出発するべきで、広告は後からついてくるという余力をもったところでないと面白い雑誌にはならない。広告営業も代理店任せではなく、自分で出かけていって広告主がどのようなビジネスをしているのか知って、雑誌コンセプトとのよい相互作用があるようにすることで、成長するというモデルがあり得る。実は専門誌はそんな感じで経営しているが、前述の細分化のやり過ぎで伸びが期待できない。だから切り口の転換と分野をまたがるコンセプトによる新たなモデルが必要になるだろう。
紙か電子か、と言う以前に立脚点を明確にすることから始めなければならない。