北田城 (きただじょう)
最寄地 福島県河沼郡湯川村三川二城乙40 2014.4.16
北田城 (きただじょう)
最寄地 福島県河沼郡湯川村三川二城乙40 2014.4.16
説明案内板
北田城土塁・説明案内板
北田城土塁・説明案内板
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 県道331号線西方の「常法寺」(表記番地)より農道を700mほど北上すると、田の中に北田城跡の土塁(北田城本丸の南西隅に位置)がある[マップコード97 585 337*36](地図)。
案内図、想定図が建てられ、土塁の上に「北田城址」の石碑が建てられている。
城は東に湯川、西に阿賀川、北に日橋川と三方を川で囲まれている段丘上にある平城で主郭が東西110m南北120m、外郭が東西220m南北210mの広さを有している。
【歴史】 鎌倉時代初期、建久四年(1192年)に佐原盛連の次男・広盛が北田氏を名乗り、城を築いたのが始まりと言われている。
なお、広盛の兄・経連は猪苗代氏の祖、弟・光盛は蘆名氏の祖である。その子孫が216年間、代々居を構え勢力をふるった。
応永九年(1402年)、北田氏は同じ蘆名氏一族で、新宮庄(現在の喜多方市一帯)地頭の新宮城主・新宮盛俊と結んで黒川城の蘆名氏に反旗を翻し、そのため応永十六年(1416年)六月、北田城は蘆名氏によって攻め落とされ、城主・六代大庭政泰(北田上総介)父子らは討死し、北田氏は滅亡した。