三田氏館 (みたしやかた) (三田城)
所在地 東京都国立市谷保6017 2015.1.16 2017.2.17
三田氏館 (みたしやかた) (三田城)
所在地 東京都国立市谷保6017 2015.1.16 2017.2.17
説明板
東側空堀
土塁
南側土塁・民家
南側土塁・井戸
三田氏館跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 「国立市立第一小学校」の南「本町学童保育所」(表記番地)の南に方形の土塁、堀の残る館跡があり、「城山公園」となっている[マップコード5 037 177*26]。付近の道は狭く駐車スペースは少ない。
南側土塁横に井戸が残り土塁上に神明社が祀られている。東側の堀は通路となっている。土塁の中には民家があり、むやみに立ち入らないよう留意した方がよい。
多摩川に向かって張り出した比高8mほどの青柳段丘の台地上縁辺部にある「谷保の城山」は中世の城館址であったといわれている。
従来から「三田城」、「三田氏館」と呼ばれ中世三田氏の居城と推測されていたが、鎌倉御家人の津戸三郎為守が城主であったとする史料も存在する。発掘調査は行われていない為、詳細は不明である。『東京都教育委員会説明板』
【歴史】 『江戸名所図会』天璣の部に、菅原道武朝臣旧館地として「空堀・城門の跡と覚しき所も見えて、四方二町あまりの封境(領土の境)なり。土人(ところの者)三郎殿屋敷跡と称す。」と記されている。
『新編武蔵風土記稿』巻九の一、多摩郡之三、上谷保村の条に「城跡、村ノ南ニアリ、三十間四方ノ地周、廻ニ土手アリ、又、南ニ続キテ少シノ土手アリ、此地ニ神明社アリ、小社ナリ、伝ヘイフ津戸三郎住居ノ跡ナリト」と記されている。
又、大正十三年(1924年)の谷保郷土史では、城主について、三田県主(あがたぬし)貞盛であると記されている。