大館城 (おおだてじょう) (桂城)(かつらじょう)
所在地 秋田県大館市中城1 2017.4.25
大館城 (おおだてじょう) (桂城)(かつらじょう)
所在地 秋田県大館市中城1 2017.4.25
国道と桂城橋
桜櫓館
桂城公園
土塁
土塁・水堀
大館城模式図
大館城跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 桂城公園(けいじょうこうえん)として整備され、水堀、土塁が一部残っている。当日は桜祭りが行われ市民が多数訪れていた。
二の丸に桜櫓館が建てられている。
【案内】 国道7号線「大館市役所前」交差点より東二約200m行き郵便局横を左折してゆくと、「市民体育館」(表記番地)駐車場が利用できる[マップコード229 683 252*34]。
南側に一部土塁、水堀が残っている。その南側市役所や桜櫓館のある一帯が二の丸であった。
【歴史】 文治五年(1189年)源頼朝の奥州征伐の後、この地に御家人浅利氏が配され地頭職となったのが、比内浅利氏の始まりとされている。
大館城の歴史は浅く、天正十年(1582年)以前に浅利勝頼により築城されたとされている。
戦国時代、この地は浅利氏、南部氏、秋田氏(安東氏)、津軽氏の係争の地となる。浅利氏は勝頼の死後、それを継いだ浅利頼平が慶長三年(1598年)に急死して断絶し、豊臣政権下において、この地は秋田氏(安東氏)の所領となった。
慶長五年(1600年)関ヶ原の戦いの後、秋田氏は常陸国に移封され、この地は常陸国から佐竹氏が移封された。
元和元年(1615年)一国一城令の例外として、横手城同様に存続を認められ、大館城には佐竹西家が入った。
初代の城代小場義成は城中に常陸国の若宮八幡宮の神霊を奉持し、2代目城代小場義易・4代目城代佐竹義武が城の東に大館八幡神社を建立して遷座させ、大館城の守護神とした。
戊辰戦争の際に南部氏が大軍で攻めてきたため、城は大館11代城代の佐竹義遵(佐竹大和)が自ら火を放ち、堀などの遺構を残して全焼した(大館城攻城戦)。
この際焼け残った城門を移築したものと伝わる門が市内新町の民家に現存するが、どこの門かは分かっていない。