片倉城 (かたくらじょう) (都の史跡)
所在地 東京都八王子市片倉町2475 2013.9.8
片倉城 (かたくらじょう) (都の史跡)
所在地 東京都八王子市片倉町2475 2013.9.8
登城ルート(緑線は車道)
説明板
住吉神社
本丸二の丸間の空堀・橋
本丸広場
二の丸広場
つつじ公園・2の丸西側空堀
【感想】 湯殿川と兵衛川に挟まれた、西から伸びる比高30m程の丘陵東端部に築かれ、芝生広場の片倉城跡公園となっている。
東西2つの郭とその間に折れのある空堀がよく残っている。
また二の丸の北西に堀切で隔てて休憩広場の郭があり、西側台地基部との間に空堀がよく残っている。
【案内】 国道16号線「片倉町」交差点の南約190mより右折細い道を少しゆくと駐車場が用意されている[マップコード23 206 422*40](地図)。
彫刻広場、蓮沼の横より石段を登ると、応安五年(1372年)長井道広が城の鎮守として大阪市住吉大社を勧請した住吉神社(表記番地)が建てられている。
更に登ると比高約25mの高台の二の丸広場に出る。空堀に架けられた橋の東が本丸広場である。
【歴史】 『新編武蔵野風土記稿』によれば、応永年間(1394~1428年)大江広元の子孫大江備中守師親の在城の記録があり、大江氏や大江氏の後裔の長井氏の城郭とされている。
廃城は十六世紀後半と推定されている。長井氏以降の片倉城に関しては詳らかでないが、その堅固な構造から、後北条氏の領地になってからも砦として戦国時代後期まで使用されたと考えられる。
永禄十二年(1569年)武田氏との三増峠(愛川町)の戦いに臨み、北条氏照と北条氏邦が出陣した城である。