弘前城 (ひろさきじょう) (鷹岡城・高岡城) (国の史跡・日本100名城4)(日本さくら名所100選)
所在地 青森県弘前市大字下白銀町1‐1 2011.7.6
弘前城 (ひろさきじょう) (鷹岡城・高岡城) (国の史跡・日本100名城4)(日本さくら名所100選)
所在地 青森県弘前市大字下白銀町1‐1 2011.7.6
外堀・三の丸追手門
南内門
下乗橋・石垣
弘前城天守・石垣
本丸より岩木山
北門(亀甲門)
北側外堀
弘前城 追手門入口(地図)
【遺構★★★★★】
【案内・感想】 県道3号線「追手門通り」交差点南約60mに弘前市立観光館地下駐車場(弘前市下白銀町2-1:30分ごとに100円(最初の1時間は無料))がある[マップコード71 041 875*24]。
交差点北に外濠があり、「追手門」の前の土塁の枝垂れ桜の新緑が美しい。三の丸に入り市民広場を抜け中濠に架かる朱塗りの「杉の大橋」を渡り土塁に沿ってゆくと「南内門」がある。
二の丸には「未申櫓」「辰巳櫓」「丑寅櫓」「東内門」が現存し重要文化財に指定されている。朱塗りの「下乗橋」から堀に映える弘前城天守が望める。
内濠に架かる下乗橋の先の本丸・北の郭は有料(高校生以上 310円、小中学生 100円)である。
入場券を求め、東に行くと本丸虎口の石垣が良く保存され、その東に現存十二天守の一つである三層の「天守閣」がある。北に脚を伸ばすと休憩所「武徳殿」が建つ北の郭である。
その北に位置する西の丸の護国神社の北に大光寺城より移築された「北門(亀甲門)」がある。又、三の丸の東に「東門」があり、五門はいずれも現存する櫓門であり重要文化財に指定されている。
昭和二十七年(1952年) 国の史跡に指定された。昭和六十年(1985年) 国の史跡に堀越城跡が追加指定されるのに伴い、史跡名称が「津軽氏城跡」(弘前城跡)に変更された。
【歴史】 天正十八年(1590年)南部氏に臣従していた大浦為信は小田原征伐の折、秀吉より南部氏に先駆けて所領安堵の朱印状を受け、大浦を津軽と改姓した。
文禄三年為信は堀越城を築き大浦城より移る。慶長五年(1600年)関ヶ原の戦いで為信は家康方に付き、家康より2千石の加増を受け4万7千石の弘前藩が成立した。
慶長八年(1603年)堀越城が軍事に不向きとして、津軽為信は鷹岡に築城を開始した。慶長九年(1604年)為信が京都にて客死したため工事は中断されたが、慶長十四年(1609年)二代信枚(のぶひら)により再開され、慶長十六年(1611年)鷹岡城が完成した。
寛永四年(1627年)五層五階の天守が焼失、以後天守のない時代が200年続いた。翌、寛永五年鷹岡を天海大僧正により弘前城と改めた。
文化七年(1810年)九代藩主津軽寧親(やすちか)が三層櫓を新築することを幕府に願い出て本丸に現在の御三階櫓が建てられた。
明治六年(1873年)廃城令で本丸御殿や武芸所等は壊されたが、天守など保存された。