大林城 (おおばやしじょう) (百岡館・舞鶴城)
最寄地 岩手県胆沢郡金ケ崎町永沢下舘49 2021.5.24
大林城 (おおばやしじょう) (百岡館・舞鶴城)
最寄地 岩手県胆沢郡金ケ崎町永沢下舘49 2021.5.24
登城ルート
土橋・説明板・空堀
柏山館
柏山館南の横堀
生城寺館
生城寺館南の横堀
松本館登り口
松本館・空堀
大林城 柏山館(地図)
【遺構★★★★☆ 比高20m】
【感想】 金ケ崎町永沢と永栄に跨る丘陵に築かれ、本丸(柏山館)、三の丸(生城寺館)と町道を挟んだ西の二の丸(松本館)から構成されている。
柏山館の北から西に横堀が巡らされ、生城寺館との間に深い横堀があり、生城寺館南西側に土塁付きの横堀がよく残っている。
【案内】 「県南青少年の家」(表記番地)西の町道に面して大林城跡散策路入口があり駐車できる[マップコード108 010 429*77](地図)。
柏山館と生城寺館(地図)の見所28か所に現在地を示した案内図が建てられ、安心して散策路を周回出来る。
西側の松本館は町道の反対側から町道に沿って南下し、最高所から右に入ると堀道があり、左手に堀切の窪みが見える。そこから登ると西にⅬ字形に細長い松本館がある(シダの原となっている)(地図)。
【歴史】 築城時期は不明だが、細越城より移った柏山氏代々の居城で300年以上にわたる胆沢郡の政治経済軍事の中心であった。
柏山氏は平姓千葉氏と伝えられ、葛西氏家臣であり胆沢地方最大の領主で、兵力は3百人とも伝えられる。
天正十八年(1590年)柏山氏は豊臣秀吉の小田原攻めに参陣せず葛西氏と共に改易された。金ヶ崎から石巻までの広大な葛西領は伊達政宗に与えられ、大林城も廃城となった。