乳井城 (にゅういじょう)
最寄地 青森県弘前市薬師堂舘ノ平3-4 2016.6.7
乳井城 (にゅういじょう)
最寄地 青森県弘前市薬師堂舘ノ平3-4 2016.6.7
北側
本丸付近の現況
乳井城跡(地図)
【遺構★☆☆☆☆】
【案内・感想】 乳井城跡とされる市道付近を訪れてみたが、住宅地となり消滅している[マップコード323 788 471*15]。
北側から西にかけて、川が流れ天然の堀として利用されたと思われ、城跡は2~3m小高くなっている。
【歴史】 築城年代は定かではないが乳井氏によって築かれたと云われる。 乳井氏は熊野系の修験寺福王寺の別当で、当地にかなりの領地を持っていたとされる。
永禄八年(1565年)乳井玄蕃は大光寺城代・滝本播磨守重行によって暗殺された。南部方は乳井氏に対する抑えとして、高畑城を築いた。
玄蕃の子乳井大隅守建清は若年で仇を討てず機会を窺っていたが、元亀二年(1571年)大浦為信が決起して石川城を急襲すると、乳井建清はこれに乗じて高畑城を攻略した。
その後、天正三年(1575年)、乳井建清は父の仇の滝本重行の籠もる大光寺城を落城させた。
天正七年(1579年)南部に逃れていた滝本重行は、比山六郎・七郎兄弟・北畠顕則らと津軽に侵攻し、乳井茶臼館は南部勢に奪われたが、その後津軽勢の六羽川の戦いで滝本勢を破り、六郎は討死した。建清は乳井城を奪還した。
天正十年(1582年)建清は大浦為信から大光寺城を与えられた。江戸時代子孫は津軽藩に仕えた。