橋本城 (はしもとじょう)
最寄地 茨城県桜川市上城863 2018.4.19
橋本城 (はしもとじょう)
最寄地 茨城県桜川市上城863 2018.4.19
登城ルート(緑線は車道)
爪黒神社
北中段の郭・土塁
主郭・櫓台
南1段 の郭(主郭を振り返った所)
南側空堀
南の郭・土塁
橋本城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高140m】
【感想】 桜川市上城の標高227mの山頂に築かれており、主郭を中心に北に2段の郭、南側に1段の郭が残り、その南の空堀は深く見応えがある。その南に緩斜面の郭があり南端に堀切が残っている。
主郭は広く50m四方ほどあり、放置され草木に埋もれているが、土塁、櫓台が残っている。
【案内】 北麓にある爪黒神社(表記番地)に駐車できる [マップコード](地図)。
西側の鳥居先より左に折れて進むと、堀底道があり(所々消えている)。中腹に、堀切とそれに続く竪堀があり、その先は険しくなり北の郭に至る。
主郭の北北東に下段と中段の郭があり、中段の郭は広く土塁が残っている。主郭は広く東から南にかけて土塁が残り、やや西寄りに櫓台がある。
主郭南に2mほど下がって郭があり、土塁が残りその南に深い空堀が残っている。
空堀を越えると1m以上の土塁が残りその南は緩斜面となり、南端の尾根に浅い堀切が残っている。
【歴史】 築城時期は定かでないが、南北朝時代に地元の土豪谷中豊前守将国が築いたと云われる。
天正十一年(1583年)益子氏と笠間氏の間で起こった冨谷合戦で谷中玄蕃は笠間氏に属し、橋本城の城将を任された。最終的に富谷城が落城した。