天神城 (てんじんじょう)
最寄地 群馬県利根郡川場村天神323 2019.2.24
天神城 (てんじんじょう)
最寄地 群馬県利根郡川場村天神323 2019.2.24
登城ルート(緑線は車道)
県道横の案内標識
駐車場からの遠景
堀切
主郭
主郭・城址碑
天神城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 】
【感想】 薄根川と溝又川の合流点に突き出た半島状台地に築かれている。単郭で南北約30m東西最大15mの規模で、周囲は断崖となっている。
【案内】 県道263号線の薄根川の橋の西の表記番地先に入口があり、案内標識が建てられている[マップコード183 686 002*33]。入り口から南西に細い道を約600m行くと駐車場が用意されている[マップコード183 655 560*83]。途中に案内標識が建てられている。
そこから、柵に沿って、堀切を通って登ると城跡で、説明板、城址碑が建てられている。
【歴史】 弘治三年(1557年)沼田万鬼斉顕泰(ばんきさいあきやす)の隠居所として築かれたと云われる。明治初期までは1反近い面積であったが、川の浸食で削られ狭くなっている。
『加沢記』によると、万鬼斉が息子の沼田城主弥七郎朝憲(とものり)を亡き者にし、末子・平八郎景義に跡目を継がせようとした。
永禄十二年(1569年)万鬼斉はこの地で朝憲を殺害し川場合戦に発展した。その結果、万鬼斉は敗れ景義らと共に会津の芦名氏に身を寄せたという。
その後、沼田城は真田昌幸の持ち城となったが、天正九年(1581年)三月に景義が沼田城奪還を目指し攻め寄せた。
しかし、昌幸により景義は謀殺され、13代にわたって利根沼田の盟主であった沼田氏は滅んだ。『川場町教育委員会説明板』より。