神明城 (しんめいじょう)
所在地 茨城県行方市両宿 2018.9.23
神明城 (しんめいじょう)
所在地 茨城県行方市両宿 2018.9.23
登城ルート(緑線は車道)
2郭
2郭主郭間の空堀
主郭虎口への通路
主郭・果樹園
主郭南西の土塁
北東の郭・神明社
神明城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 】
【感想】 北浦に注ぐ武田川南の舌状台地に築かれた連郭式の城である。
主郭は果樹園となっており、南西側に土塁の一部が残っている。北東の櫓台の先に鬱蒼とした空堀があり、一段低く神明社の建つ平坦地がある。
主郭南に2郭との間に空堀があり、葛が茂って深さがはっきりしないが、3m以上はありそうだ。
【案内】 国道354号線北側に細い道の入口がある[マップコード162 644 731*24](地図)。100mほど北に行き左に入ってゆくと、主郭虎口手前に駐車スペースがある。
南側に2郭があり、畑やラジコンクラブの利用地となっている。
【歴史】 常陸武田氏は甲斐武田氏の一族で、応永二十三年(1416年)「上杉禅秀の乱」に際し、上杉禅秀方に付いて敗北し、その一族の武田信久が千葉氏を頼って、常陸南部に移り住んだことに始まる。その後、神明城を築いたとされている。
天文二年(1591年)、常陸武田氏8代通信の時、新たに木崎城を築いて居城を移したと云われている。