茶右衛門館 (ちゃえもんだて) (森山城)
最寄地 青森県西津軽郡深浦町森山松浦7 2016.6.7
茶右衛門館 (ちゃえもんだて) (森山城)
最寄地 青森県西津軽郡深浦町森山松浦7 2016.6.7
登城ルート(右の赤丸が主郭/左が物見台)
看板・説明板・登り口
休憩所
物見台
ガンガラ洞
主郭西の堀切
虎口・土塁・ 主郭跡
主郭跡
森山城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高70m】
【案内・感想】 国道101号線「森山隧道」南側の表記番地より、旧道に入り約350m北 (踏切は渡らず) に行くと、「茶右衛門館」の看板、説明板が建てられている[マップコード559 187 580*08]。
登り口より100mほど行った分岐より、右に木道を登ると立派な堀切があり、尾根道を登ると虎口土塁の残る広い主郭がある。笹や雑木に覆われている。
戻って分岐を直進し尾根道をゆくと、途中に休憩所があり更に登ってゆくと、標高67.1m転落防止柵のある物見台がある(地図)。ガンガラ洞の絶景が眼下に広がっている。
昭和五十一年(1976年)12月24日深浦町の史跡に指定された。
【歴史】 松前藩の歴史書『新羅(しんら)之記録』によれば、ここを本拠地としていた森山飛騨守季定は、安東氏宗家に叛いたため、天文十五年(1546年)に桧山の安東尋季(ひろすえ)と舜季(きよすえ)の父子、松前の蠣崎季広(かきざきすえひろ)に滅ぼされたと云われている。
その後、津軽為信の家臣・小野茶右衛門の居城となり、茶右衛門館とも呼ばれている。
その小野茶右衛門も、2代藩主信牧(のぶひら)の時に、大間越の笹森勘解由左衛門らにより滅ぼされたと伝えられている。『深浦町教育委員会説明板』