四本松城 (しおのまつじょう) (塩松城・古館)
最寄地 福島県二本松市長折四本松118 2018.7.3 11.2
四本松城 (しおのまつじょう) (塩松城・古館)
最寄地 福島県二本松市長折四本松118 2018.7.3 11.2
登城ルート(緑線は車道)
入口・説明板・南出城
本城北側の郭・主郭
主郭・四本松神社
城趾碑
北側の堀切
北出城より振り返った堀切
東側の郭(3段目)
四本松城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高30m】
【感想】 口太川左岸の標高316.4mの山頂に築かれている。東西約30m南北約65mの広さがあり、南東側に帯郭が残っている。日没近く堀切は見ることが出来なかった。
2回目の訪問で、北尾根と東尾根を見てみた。一見藪が深そうだが、少し入ると、視界が開け北側下段の北出城との間に、深い堀切が残っていた。
東側の竹林の中に4段の郭があり、3・4段目は広い。その下段に堀切があるらしいが、鬱蒼としている。
【案内】 県道303号線より南西に約400m行き無線塔先を右折し、約600m登った峠に説明板が建てられている[マップコード129 589 084 *52](地図)。
右側小山が南出城であり、舗装道を表記番地に向かうと、70mほど先に登り口があり、その前に一台駐車できる。200mほど城跡南側を登ると虎口に着く。
本城主郭南側に「四本松神社」が建てられ、巨岩の上に「四本松城趾」の石碑が建てられている。
北側の郭から藪を入ると、その北端下に深い堀切がある。その北に北出城があり、北側に尾根斜面が続いている。
また、主郭北東の竹林を入ると、4段の郭がある。その東に、東出城がある。
【歴史】 築城時期は定かでないが、源義家の家臣伴助兼が築いたといわれる。
応永七年(1400年)塩松を支配していた宇都宮氏が斯波氏に敗れた後、斯波氏の一族・石橋棟義(むねよし)の統治となり、古館を居城とした。
その後、5代義衡のときに住吉山城へ居城を移した。8代尚義は再び古館に居を移した。2つの四本松城(ここ古館と、東方1kmの住吉山城)は石橋氏代々の持城であった。
しかし、永禄十一年(1568年)石橋氏8代尚義(久義)は家臣であった小浜城主・大内備前守義綱や百目木城(どうめきじょう)主・石川弾正らによって攻め滅ぼされ、四本松城は廃城となった。