滑津館 (なめつたて) (南面津城・奈目津城)
所在地 福島県西白河郡中島村大字滑津御城 2020.5.25
滑津館 (なめつたて) (南面津城・奈目津城)
所在地 福島県西白河郡中島村大字滑津御城 2020.5.25
西側入口
堀跡の段差(振り返る)
主郭跡
北側
滑津館跡(地図)
【遺構★☆☆☆☆】
【感想】 中島村滑津御城の泉川に向けて西から伸びた舌状台地にある。現在は畑となって南北に2条あったと云われる空堀は、埋められ遺構は消滅している。 東側の堀跡の段差が僅かに偲ばれる程度であった。
【案内】 中島村滑津御城の東西に伸びた台地にあり西側に入口がある[マップコード225 856 630*01]。
無線塔の東の畑となっている。東端に仏像が倒壊している。
【歴史】 陸奥石川氏初代石川有光の五男・奈目津光房によって築かれたと云われる。
文安元年(1444年)には白河結城氏の家臣・舟尾昌忠が城主であったが、後に佐竹氏配下になった。
天正十七年(1589年)船尾昭直の時、伊達政宗の軍が迫ると、放棄して佐竹義重の元に逃れた。
滑津館は白河結城氏の支配となったと考えられるが、天正十八年(1590年)白河結城氏が豊臣秀吉による奥州仕置で改易されると、廃城となったと思われる。