太田金山城 (おおたかなやまじょう) (金山城・新田金山城) (国の史跡・日本100名城17)
所在地 群馬県太田市金山町40 2013.9.23
太田金山城 (おおたかなやまじょう) (金山城・新田金山城) (国の史跡・日本100名城17)
所在地 群馬県太田市金山町40 2013.9.23
登城ルート
入口・城跡碑
馬場下通路
月の池・大手虎口
大手虎口・三の丸石垣
日の池
二の丸跡
本丸跡・新田神社・城址碑
太田金山城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★★ 比高30m】
【案内・感想】 太田市のほぼ中央にそびえる金山(標高235.8m)と呼ばれる独立峰で、全山アカマツに覆われている。県道321号線の終点に公園の駐車場が用意されている[マップコード34 525 302*78](地図)。
入り口に城跡碑が建てられ、坂道を東に登るとすぐ、西矢倉台堀切に出る。
物見台下虎口を通り、馬場を抜けて、「月の池」に出る。円形の石組の「日の池」があり、壮観な三の丸、二ノ丸の石垣がある。大欅を見て石段を登ると、比高約30mの本丸には御嶽神社、新田神社(表記番地)が祀られている 。
昭和九年(1934年)12月28日、国の史跡に指定された。
【歴史】 建武三年(1336年)に佐野義綱が新田庄の新田城を攻め落としたという記録がある。この新田城が新田義貞によって金山に築かれれていたのではという説があるが、最近行われている発掘調査ではその時代の遺構や遺物は検出されていない。
文明元年(1469年)新田一族の岩松家純により、築城された。
以降、岩松氏が6代続き、享禄元年(1528年)に由良成繁、その子国繁が城主となり、天正十二年(1584年)には北条氏に替わった。
天正十八年(1590年)豊富秀吉の小田原征伐の際落城、廃城となった。
明治六年(1873年)五月、新田俊純、横瀬貞篤、横瀬貞善らが新田義貞を祀る神社を本丸に建立することを請願し、翌々年鎮座祭が行われ、現在に至る。