鏑木城 (かぶらぎじょう)
最寄地 千葉県旭市鏑木1815 2016.1.6
鏑木城 (かぶらぎじょう)
最寄地 千葉県旭市鏑木1815 2016.1.6
城跡碑・空堀
西の土塁のある郭
主郭西の 腰郭
主郭虎口
本丸
三の丸二の丸間の堀跡
鏑木城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 県道74号線と県道64号線の交差点より、県道64号線を南東に600mほど行くと、「鏑木城跡」の標柱が建てられている[マップコード92 310 313*62]。
空堀が一部残り、東に土塁に囲まれた郭がよく残り、砂利が敷かれ駐車できる。東に登ると、櫓台があり、一段下がった左の竹林の中に腰郭跡(地図)がある。
北東に少し行った表記番地の右に登り口があり、少し登って三叉路を右に行くと、土塁・虎口があり本丸跡は畑となっている。
三叉路を左に行くと二の丸跡(地図)、その東に三の丸跡がある。その間に堀跡の窪地がある。
【構造】 鏑木城は干潟耕地を望む、海抜45mの台地丘陵端に築かれた東西約540m、南北約180mの多郭直線連郭式の城址で、東総地方においては最も規模の大きい城址である。
中に巾5~7mの堀跡があり、本丸・二の丸・三の九に分けられ、更に数ケ所の物見台・曲輪と登城口がある。
【歴史】 当城は、鏑木氏代々の居城として栄えていたが、天正十八年(1590年)に豊臣秀吉が小田原の北条氏を征伐した時、千葉氏と共に北条方であったので、攻略され廃城となった。
後に古城の地名は村名として近代まで残った。『千葉県ホームページ』より。