島崎城 (しまざきじょう)
所在地 茨城県潮来市島須530 2016.2.11
島崎城 (しまざきじょう)
所在地 茨城県潮来市島須530 2016.2.11
説明板
登城ルート
主郭虎口・土塁
主郭・御礼神社
西側空堀
2郭虎口
2郭・土塁
島崎城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 県道189号線より東に行った御礼神社入口に「島崎城址」の石碑、説明板が建てられている[マップコード162 169 071*83](地図)。
その東、比高約15mの台地に築かれ、御礼神社(表記番地)が主郭跡に祀られている。
北側に虎口・土塁が残り、下ると馬出があり、大手道となり、西側(左)に深い空堀が残っている。主郭の北に空堀で隔てて2郭があり、藪化しているが、土塁が残っている(地図)。
2郭の外周空堀は2重で、中間に土塁と腰郭がある。その北に3郭がある。
昭和四十二年(1967年)8月31日、潮来市の史跡に指定された。
【発掘調査】 これまでの発掘調査によると、火災の跡・庭園遺構・石塔による暗渠石積み・空堀底・乱杭・水溜めの粘土遺構・井楼矢倉か隅櫓が検出され、水の手曲輪が井戸と共に現存する。
【歴史】 鎌倉時代初期、常陸大掾氏(だいじょうし)の一族行方宗幹の次男高幹(たかもと)が島崎氏を名乗り、以来4百年間歴代の居城として武威を誇った。
城は室町時代中期頃の築城とされ、鹿島行方地方を代表する城郭である。
天正十九年(1591年)17代城主島崎義幹(よしもと:安定)が佐竹義宜により滅ぼされ、島崎城は廃城となった。『潮来市教育委員会説明板』より。