平井城 (ひらいじょう) (県の史跡)
所在地 群馬県藤岡市西平井239 2013.12.11
平井城 (ひらいじょう) (県の史跡)
所在地 群馬県藤岡市西平井239 2013.12.11
櫓門跡の土塁石垣
櫓門跡の土塁石垣
櫓門跡の土塁上面
曲輪跡
堀・木橋・土塁
平井城跡空堀(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 県道173号線「西平井」交差点より南に800mほど行った道路東に櫓門跡の土塁石垣がある[マップコード20 153 868*74]。養豚農家の東に濠、土塁が一部残り、橋が復元されている。また東側は鮎川の断崖となっている。
県道175号に沿って東平井城跡の土塁の跡がある。雉岡城より移った関東管領山内上杉氏の居城であった。南西1㎞の山頂に詰城である平井金山城跡と共に群馬県の史跡に指定されている。
【歴史】 永享十年(1438年)鎌倉公方足利持氏と関東管領上杉憲実の間に確執が生じ、身の危険を感じた憲実は平井城へ逃れた。
このとき家臣の長尾忠房により築城され、持氏と憲実幕府の連合軍の間で永享の乱が起き、憲実方が勝利した。
文正元年(1466年)関東管領になった上杉顕定によって拡張された。天文二十一年(1552年)北条氏康に攻め落とされ、城主の関東管領・上杉憲政は転々とした後、永禄元年(1558年)越後の長尾景虎(後の上杉謙信)のもとに逃れた。
八年後の永禄三年(1560年)に長尾景虎によって奪回されたが、同年に景虎は関東の拠点を厩橋城(後の前橋城)に移したため、廃城となった。