月館城 (つきだてじょう)
最寄地 宮城県気仙沼市松川219 2017.7.8
月館城 (つきだてじょう)
最寄地 宮城県気仙沼市松川219 2017.7.8
登城ルート
入口の橋
民家裏の土塁道
堀切
主郭・土壇
主郭
帯郭
月館城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高50m】
【感想】 松川川左岸の標高70.8mの山頂に築かれている。主郭東に城跡標柱が建てられているが、放置され鬱蒼としており余り明瞭ではない。
南東約2.4㎞に長崎城(地図)がある。
【案内】 国道284号線より県道209号線を約700m行くと、案内標識があり右折して150mほど行くと説明板が建てられている[マップコード193 275 835*45](地図)。
南側の仮設住宅跡に駐車できる。鉄の橋を渡り、真っ直ぐ北に150mほど行くと堀切に出る。
そこより左(西)へ登ってゆくと、腰郭があり上段に主郭がある。主郭は広い平坦地となっており、杉林となっている。
【歴史】 築城年代は赤岩城11代熊谷直定の子・直政が文明十三年(1481年)以降に築城した事や、建武年間(1334~36年)熊谷直延が居城していたなど諸説ある。
熊谷氏は南北朝時代後半には、葛西氏の家臣になっていた。天文二年(1533年)赤岩城12代直景が主君の葛西氏に背任の嫌疑をかけられ、殺害された事件以降、一族の内紛が続いた。
天正六年(1578年)十二月、月館城4代の熊谷掃部直澄が挙兵し、長崎城主の熊谷直良と合戦に及び、激戦の末、直良は戦死し、月館城の勝利に終わった。
天正十八年(1590年)豊臣秀吉の奥州仕置により廃城となった。