浄泉寺城 (じょうせんじじょう) (近藤砦)
所在地 東京都八王子市館町1234 2025.6.24
浄泉寺城 (じょうせんじじょう) (近藤砦)
所在地 東京都八王子市館町1234 2025.6.24
北側入口
本堂・庫裡
説明板
土塁
南側の墓地
浄泉寺城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 都道173号線「北野街道」に面した朱塗りの天神橋から入る[マップコード23 170 742*35]。
橋を渡って南へ狭い道を登ってゆくと、浄泉寺駐車場に着く。駐車場横に説明板があり、その裏に長さ10mほどの低い土塁が見られる。南側は墓地となっており、改変されているようで、遺構は見られなかった。
【歴史】 平安時代末期、醍醐天皇の流れを汲む鎌倉権五郎景政という武将が、ここに本拠を構えていたという。
戦国時代末期、浄泉寺城と称し、近藤砦とも呼ばれ、天正元年(1573年)八王子城主北条氏照の家臣近藤出羽守助実(綱秀) が浄泉寺を創建した。
天 正十八年(1590年)六月、豊臣秀吉の小田原攻めの際、中山家範らと八王子城の近藤曲輪で守備したが、上杉景勝、前田利家らの軍勢に攻められ討死した。