湯沢城 (ゆざわじょう)
最寄地 秋田県湯沢市佐竹町1-1 2016.8.5
湯沢城 (ゆざわじょう)
最寄地 秋田県湯沢市佐竹町1-1 2016.8.5
登城ルート
佐竹南家の移築門
二の丸跡
本丸への道標
堀切
本丸跡
五社壇跡
馬場跡
湯沢城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高110m】
【案内・感想】 湯沢市役所(表記番地)の南に中央公園があり駐車場が用意されている[マップコード212 584 265*03] 。公園の南側に佐竹南家の門が移築されている。
舗装道を登り、東に登ってゆくと二の丸(地図)があり、草の中に碑が建てられている。
一旦戻って、道標に従い南に行くと堀切があり、更に登ると見張台と本丸を結ぶ道路に出る。右に行くと見張台で湯沢の町が眼下に望める。
また左(南)に行くと、本丸があり碑、説明板が建てられている。本丸の南の台地が五社壇跡で、かって神社が建っていた。
更に南に行くと、馬場跡があり搦手虎口を経て、南に走る車道に出る。
【歴史】 鎌倉時代の建治三年(1277年)頃、小野寺道定によって稲庭城の支城として築かれたと伝えられている。
16世紀初め、小野寺稙道の頃に一時、小野寺氏の本拠となったが、子・輝道の時横手城に本拠を移した。
文禄四年(1595年)最上義光の命を受けた楯岡城主楯岡満茂の侵攻によって湯沢城が落城した時、城主小野寺孫七郎が一族や家臣と共に討死した。
その後、楯岡氏、佐竹氏と受け継がれ、江戸幕府の一国一城令により元和六年(1620年)廃城破却となった。