東林寺城 (とうりんじじょう)
最寄地 茨城県牛久市新地町203 2014.1.8
東林寺城 (とうりんじじょう)
最寄地 茨城県牛久市新地町203 2014.1.8
登城ルート(緑線は車道)
東林寺
4郭北土塁の庚申塔
3郭空堀
2郭虎口・土塁
2郭跡
東林寺城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 「東林寺」(表記番地)の北50mより西の台地に登る道がある[マップコード18 479 119*28]。
谷田川の注ぐ牛久沼の入り江と稲荷川に挟まれた比高約20mの舌状台地に四つの曲輪が南北に並び、空堀、土塁で仕切られている。
最南端の民家(粉川家)の建つ曲輪が2郭(地図)であり、その南端から牛久沼の絶景が広がっている。2郭の南西に主郭があるが、土取りで大半は削り取られ、畑や民家敷地となっている。
3郭(地図)は畑に利用され、東麓に東林寺があり、3郭と4郭の間の土塁の上に祠がある。4郭(地図)の空堀は深く土塁も高い。4郭北の土塁に庚申塔がある。
【歴史】 永禄年間(1558~70年)牛久城と同じく岡見氏により築城されたと考えられている。永禄9年(1566年)の「小田氏治味方地利覚書」に城主が近藤治部であったことが書かれている。
天正十年代の「岡見氏本知行等覚書」に城主が岡見治広の城と記録されている。結城氏家系の野口豊前は東林寺城攻めを書き留めている。
廃城は、天正十八年(1590年)豊臣秀吉の小田原征伐の際と考えられる。