川口城 (かわぐちじょう)
所在地 岩手県岩手郡岩手町川口第17地割5 2017.7.9
川口城 (かわぐちじょう)
所在地 岩手県岩手郡岩手町川口第17地割5 2017.7.9
説明板
川口中学校入口
城址碑・説明板
空堀(手前)
空堀(奥)
県道向かいの工場
工場西側
川口城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 北上川とその支流古館川に挟まれた段丘上の要害にあり、東郭(大館)と西郭(小館)の間に空堀がある連郭式の平山城であった。
現在西郭は工場、東郭(主郭)は台地上の林となっており遺構は少ないが、県道東側の台地に空堀が残り、工場西側に空堀と思える窪みがある。
【案内】 国道4号線「川口バイパス北口」交差点より県道158号線に入り、南に約500m行った工場(表記番地)と川口中学校入口一帯の台地が城跡である。
県道東側の台地斜面に「川口城趾忠魂碑道」の石碑と説明板が建てられている[マップコード249 624 886*03] 。南に少し歩くと、空堀がある。
【歴史】 川口氏は、文治五年(1189年)の奥州合戦の恩賞として紫波・岩手の両郡を与えられた川村秀清の子孫玉山氏から分かれて川口の領主となった。
応永年間(1394~1428年)に秀利が三戸の南部守行に従った際、川口氏を名乗るよう命じられた。このころ、居館として使用され南北朝時代には築城されていた可能性が高い。
川口秀長は南部信直より400石を安堵され、その子正家は南部利直に従って家臣8名を率いて大阪の陣に参陣した。
元和元年(1615年)の一国一城令により川口正家は盛岡城下に移り、川口城は廃城となった。
川口氏の子孫は八戸藩士となり明治維新まで命脈を保った。