勝沼城 (かつぬまじょう) (師岡城)(もろおかじょう)
最寄地 東京都青梅市師岡町1-1521‐1 2013.12.4
勝沼城 (かつぬまじょう) (師岡城)(もろおかじょう)
最寄地 東京都青梅市師岡町1-1521‐1 2013.12.4
登城ルート
説明板
南側空堀
南側の曲輪・土塁
南東側の主曲輪・土塁
西側の2郭
西側の空堀
勝沼城跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 妙光院(表記番地)の駐車場が利用できる[マップコード23 768 017*30]。
東は墓地になっており、西に大きく三つの曲輪があり、それぞれ空堀で区切られている。
各曲輪は土塁が残り、南側の曲輪に説明板が建てられている。そこより南方に青梅市街が望める。
光明寺(青梅市東青梅6丁目42)の本堂東から墓地中央を登っても行ける。
平成五年(1993年)3月22日、青梅市の史跡に指定された。
【歴史】 築城については不明であるが、平将門の末裔と称して多摩川上流域を支配した三田氏の居城であった。
永禄三年(1560年)の上杉謙信の関東出兵後、城主の三田綱秀は後北条氏を離れ上杉方についた。翌年に上杉氏撤兵後、後北条氏と対立した綱秀が辛垣城を築き居を移した。
永禄六年(1563年)滝山城の北条氏照によって滅ぼされ、氏照の家臣師岡山城守将景が入って城の改修を行なった。そのため師岡城とも呼ばれる。
天正十八年(1590年)八王子城の落城とともに廃城となった。