岩瀬山城 (いわせやまじょう) (愛宕山城)
所在地 福島県須賀川市愛宕山 2020.5.24
岩瀬山城 (いわせやまじょう) (愛宕山城)
所在地 福島県須賀川市愛宕山 2020.5.24
登城ルート
翠ヶ丘公園
北の丸(芝生広場)
本丸・愛宕神社
本丸・土塁
本丸南の土塁・虎口
南館
五老山
岩瀬山城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高30m】
【感想】 釈迦堂川に合流する須賀川右岸の標高278mの愛宕山に築かれている。
翠ヶ丘公園として整備され、遊歩道が縦横に設けられており、最高所の本丸には愛宕神社が祀られ、横矢の掛るクランクした土塁が巡らされている。南側に虎口があり、遺構はよく残っている。
北側下段に北の丸は芝生広場となり、南の山頂の南館や、五老山には、遺構は見られない。
【案内】 県道54号線「須賀川三春線」南に「翠ヶ丘公園」駐車場が用意されている[マップコード61 436 780*83]。
本丸には愛宕神社が祀られ、北の丸(芝生広場)、南館(地図)、五老山(地図)、妙見山、守谷館で構成されていた。
五老山には金子兜太の句碑があり、日本三大火祭りの「松明あかし」が毎年11月に催されている。
句碑は「火の柱の火の壁の松明あかし」「夢寐(むび)照らす巨大劫火の祭りかな」の2基である。
【歴史】 築城年代は定かではないが、鎌倉時代後期に二階堂行朝により築かれたと云われる。
戦国時代の応永六年(1399年)、須賀川城を築いて移り、その詰城として使用されたとされる。
天正十七年(1589年)伊達政宗によって須賀川城は落城し、須賀川二階堂氏は滅亡した。
翌、天正十八年(1590年)豊臣秀吉の奥州仕置により、蒲生氏郷の所領となった。
その後、慶長三年(1598年)蒲生氏に替わって植上杉景勝が会津に入封すると、家臣栗田刑部が城主となった。