八木岡城 (やぎおかじょう)
最寄地 栃木県真岡市八木岡1309 2015.1.25
八木岡城 (やぎおかじょう)
最寄地 栃木県真岡市八木岡1309 2015.1.25
五行川より望む城跡
城跡碑・説明板
説明板
北側空堀
主郭・土塁
西側の曲輪・土塁
八木岡城跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 「真岡市水処理センター」(表記番地)の北、水田の中の独立丘陵にある[マップコード74 599 664*05]。東に五行川、北に北関東自動車道がある。
主郭は東西約60m南北約140mと細長く、両側に深い空堀があり、西側に一段低く腰曲輪がある。北西隅に「八木岡城跡」(平成四年三月建之)の石碑、説明板が建てられている。
【歴史】 永仁年間(1293~98年)芳賀氏十一代城主芳賀高俊の四男高房が、八木岡の東館に住して八木岡を姓とし、八木岡肥後守を名乗り築城した。
延元四年(1339年)南朝の武将春日顕時に攻められ一度目の落城をした。天文十三年(1544年)下野への侵攻を企む武将水谷政村(正村・蟠竜)を阻止すべく、当時の城主八木岡貞家が、水谷軍を迎撃するも戦死し二度目の落城となった。当城は水谷勢に制圧された。
天文十五年(1546年)水谷政村に領地没収されて廃城となった。八木岡城の周辺には、「東館」の外にも、「堀内」「前田」「市場」といった城に関連する地名が残っている。『真岡市教育委員会説明板』より。