佐久山城 (さくやまじょう) (市の史跡)
最寄地 栃木県大田原市佐久山2271 2015.2.1
佐久山城 (さくやまじょう) (市の史跡)
最寄地 栃木県大田原市佐久山2271 2015.2.1
公園・登り口
本丸跡
櫓台
空堀
佐久山城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 「市立佐久山小学校」(表記番地)南の御殿山公園となり、西側高台入口に「佐久山城跡」の碑、説明板が建てられている[マップコード121 196 373*03] 。
階段を登るとブランコなどのある比高20m余の東西約60m南北約80mの本丸があり、櫓台があり、その西に空堀が巡らされている。
昭和三十六年(1961年)12月8日、大田原市の史跡に指定されている。
【歴史】 文治三年(1187年)、那須資隆の次男・那須泰隆が御殿山に築き、佐久山次郎泰隆と称して居住した。
その後、永禄六年(1563年)子孫の佐久山右衛門義隆は、同族の福原安芸守資孝(大田原備前守資清の次子資則)に滅ぼされ、廃城となった。
天正十八年(1590年)資孝の子・雅楽頭資保は、片府田城より佐久山四つ谷に陣屋を移し、のち元禄十五年(1702年)福原刑部資倍が佐久山城に補修を加えて移った。以降福原氏累代の居城となった。
明治二年(1869年)福原内匠資生が版籍を奉還した。『大田原市教育委員会説明板』より。