坂田城 (さかたじょう) (市場城)
所在地 千葉県山武郡横芝光町坂田 2014.1.22
坂田城 (さかたじょう) (市場城)
所在地 千葉県山武郡横芝光町坂田 2014.1.22
登城ルート(緑線は車道)
三郭土橋・空堀
三郭
二郭空堀
二郭・土塁
主郭土橋
主郭・土塁
坂田城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 下総国との境目の栗山川に近く、上総国側の坂田池の北側にある舌状台地に築かれている。
規模は東西300m南北1.4kmあり、大部分は畑となっているが、1000を超える千葉県の城の中でも最大級である。
各郭は土塁が見られ、三郭(登城)、二郭(見台)、主郭(本丸)は土橋で結ばれ、深い空堀がよく残っている。四郭(外城)は現在畑・梨園、三郭は梅園・梨園となって利用されている。
【案内】 県道79号線と県道116号線の「寺方」交差点の西230mから四郭へと入って行ける[マップコード137 326 664*41](「坂田城跡入口」の標識あり:地図)。四郭の北部分に銚子連絡道路が東西に横断している。
または県道79号線の坂田池の北350mの所から西に細い道を登っても行ける[マップコード137 297 545*31](地図)。
台地に北から広い四郭(外城)、三郭(登城)と並びその南に二郭(見台)、主郭(本丸)と配置されている。
【歴史】 十四世紀中頃、千葉氏によって築城されたと伝えられている。
「総州山室譜伝記」によると、坂田城はこの地方の領主だった三谷胤興の居城であったが、一族で争っていたため、山室氏の客将の井田氏に付け込まれ、弘治元年(1555年)大台城主・井田友胤に急襲されて三谷氏は滅亡、井田氏に乗っ取られた。
弘治二年(1556年)井田友胤の子・胤徳は千葉氏に仕え、城を修復し、里見氏に属する安房正木氏の東上総侵攻を防戦した。
しかし天正十八年(1590年)豊富秀吉の小田原征伐に際し、城主井田胤徳は小田原城に在って、坂田城にはわずかの留守部隊しかおらず無血開城後、廃城となった。