七郎館 (しちろうたて)
最寄地 宮城県伊具郡丸森町大張川張舘74 2020.1.26
七郎館 (しちろうたて)
最寄地 宮城県伊具郡丸森町大張川張舘74 2020.1.26
登城ルート
標柱・説明板・登り口
説明板
北の郭・奥が主郭
北の郭・主郭切岸
主郭
七郎館跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 丸森町大張地区の阿武隈川左岸の小丘陵に築かれている。主郭の北側に切岸があり下段に平坦地がある。
【案内】 国道349号線より北西に登って行った表記番地の南に入口があり、標柱と説明板が建てられている[マップコード156 008 662*25]。
西から登ると間もなく南北2段になった平坦地がある。
【歴史】 文治五年(1189年)源頼朝の奥州藤原氏攻めの時、藤原氏の一族の飯坂大鳥城主・佐藤元治は頼朝軍を迎え撃った。
佐藤元治の庶長子(妾の長男)に片足の不自由な七郎秀信と云う者がおり、不具の身で捕虜となり恥を受けるよりは、逃れて身を全うするようにと摺上川(すりかみがわ)を舟で下らせた。
七郎は流れに従って阿武隈川に出て、川張館地内に小屋を建てて住んだ。現在、下小屋(しもごや)の字名があるのはこの為である。後に西方の小丘に小屋を建てて移り、七郎館と称したという。
この地に佐藤姓の多いのは、皆、七郎秀信の末裔であるといわれている。『現地説明板』より。