皿沼城 (さらぬまじょう)
最寄地 埼玉県深谷市上敷免950 2015.12.19
皿沼城 (さらぬまじょう)
最寄地 埼玉県深谷市上敷免950 2015.12.19
石碑・説明板
説明板
諏訪神社
北西部の堀跡
清心寺の平忠度の墓
【遺構★☆☆☆☆】
【案内・感想】 唐沢川3号橋の堤防脇に「説明板」が建てられている[マップコード34 125 633*53](地図)。その横には「唐澤放水路記念碑」の大きな石碑がある。
城のあった地点は高台であったが、煉瓦の原料として掘り取られ、水田になり、現在「ジョウ」の呼び名が残っている。
住宅地となり遺構は少ないが、北西に堀跡と思える窪地があり、南西に堀跡のような水田がある。東約200mの鬼門に祀られた諏訪神社(地図)がある。
清心寺(深谷市萱場441)には岡部六弥太が建てた平忠度(ただのり)を供養する五輪塔墓がある。
曲田城(まがったじょう)に建てられた皎心寺(深谷市谷之55)には、槇が一本残され、説明板が建てられている。
【歴史】 延徳三年(1491年)深谷上杉氏の家臣岡谷香丹により築かれた。鎌倉街道が近くを通り、利根川を渡って攻めてくる古河公方の軍に備え、深谷城北辺の守りとした。
伏見稲荷を城内に祀り、諏訪神社を城の鎮守とした。後、長子清英に譲り曲田城に隠居した。
岡谷清英は文武両道に秀でた武将で、深谷上杉氏宿老の一人として活躍した。
また天文十八年(1549年)清英は萬誉玄仙和尚を招いて清心寺を開基した。清心寺には源平一の谷の戦いで岡部六弥太に討たれ、岡部六弥太が建てた平忠度(ただのり)の五輪塔墓がある。
天正十八年(1590年)深谷城と共に落城した。『深谷上杉顕彰会説明板』より。