辛垣城 (からかいじょう) (西城)
最寄地 東京都青梅市二俣尾4丁目1066−1 2013.12.4 2020.10.13
辛垣城 (からかいじょう) (西城)
最寄地 東京都青梅市二俣尾4丁目1066−1 2013.12.4 2020.10.13
登城ルート
3合目の沢・橋
中間点尾根・名郷峠
東尾根の堀切
堀・虎口
主郭跡・説明板
西尾根の堀切
辛垣城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高200m】
【感想】 青梅市二俣尾と成木の境に位置する標高約451mの辛垣山に築かれている。
大正末期まで石灰石の採掘が行われ、主郭平坦部は崩れており、凸凹してはっきりしないが、東側尾根の堀切、虎口につながる竪堀や西側尾根の堀切などよく残っている。
【案内】 JR青梅線「二俣尾駅」北口より北に約100m行った「長泉院」南東に駐車し、林道を行く[マップコード23 791 192*36]。
「西城壱の橋」「西城弐の橋」を渡る(地図)。やがて右手の山腹に沿って登ってゆくと、名郷峠200m手前に案内標識があり、尾根の峠に東京都の「名郷峠」の標識がある(地図)。
峠より西へ行き、登り口の標識上に堀切があり、2つのピークの郭を越え、再び険しい辛垣山を登ると、雷電山南東尾根に位置する比高約200mの「辛垣城跡」の主郭跡に出る。北西は3m程度の石灰岩で囲われている。
東側虎口に竪堀、西側尾根に堀切が残っている。
名郷峠より東の2つ目のピークから南下すると、枡形山城に行くことができる。
また市内の海禅寺(青梅市二俣尾4丁目962)には桃山時代から江戸時代頃の供養塔といわれる三田氏の宝篋印塔がある。
昭和三十年(1955年)11月3日、青梅市の史跡に指定された。
【歴史】 永禄年間初期、三田綱秀によって築かれた。ただし、永禄年間以前より存在したという説もある。
永禄三年(1560年)の上杉謙信関東出兵後、城主の綱秀は後北条氏を離れ上杉方に付いた。
永禄四年(1561年)の上杉氏撤兵後、後北条氏と対立した綱秀が勝沼城から居を移した。
永禄六年(1563年)頃、滝山城主・北条氏照に攻められ落城した。城主三田綱秀は岩槻城に落ち延びたが、同年十月その地で自害し、三田一族は滅びた。