谷中城 (やなかじょう)
最寄地 茨城県桜川市上城536 2018.4.15
谷中城 (やなかじょう)
最寄地 茨城県桜川市上城536 2018.4.15
登城ルート
城跡標柱
居館西側の堀・土塁
加波山神社
横堀
南側平坦地・櫓台
北側櫓台・三角点
谷中城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高50m】
【感想】 桜川市上城の標高108.8mのなだらかな丘陵頂上に築かれている。居館の土塁、空堀や詰城の北から東、南にかけて横堀が良く残っている。詰城平坦地は、南北2つの櫓台を中心に広がっているが、藪化している。
【案内】 国道50号線より細い道路を北に行った表記番地先に標柱が建てられ、登り口がある[マップコード188 090 166*67](地図)。その先が少し広くなり路上駐車できる。
登り口より西に行くと居館部があり、西側に空堀土塁が残っている。
その先の鳥居から登り、加波山神社右側から背後に登り、ピンクのマーカーを辿って行くと空堀に出る。空堀は北から東、南へ伸びており、その上段に主郭がある。主郭は北の三角点のある櫓台と平坦部、南の櫓台と平坦部から構成されている。
【歴史】 築城時期は定かでないが、地元の土豪谷中氏の居城であったといわれる。
天正十一年(1583年)益子氏と笠間氏の間で起こった冨谷合戦で谷中玄蕃は笠間氏に属し、橋本城の城将を任された。最終的に富谷城が落城した。