住吉山城 (すみよしやまじょう) (四本松城・本城)
最寄地 福島県二本松市太田本町238 2018.7.3
住吉山城 (すみよしやまじょう) (四本松城・本城)
最寄地 福島県二本松市太田本町238 2018.7.3
登城ルート
住吉神社参道
住吉神社
林道60m左の登り口
南側腰郭
神社・土塁
神社背後の櫓台(百庚申塔)
住吉山城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高120m】
【感想】 二本松市太田本町の標高356mの本城山に築かれ、南側に階段状の郭が並び下段の郭は広くなっている。
【案内】 国道303号線の表記番地東に住吉神社への参道がある[マップコード129 561 578*11](地図)。国道を300mほど北西に戻った「西谷区公会堂」横に案内図が建てられている。
比高約60mの参道を登ると、住吉神社がある。参道右に竪堀が見られる。拝殿右より林道が延びており、約60m行くと左に上がる細い道がある。ここを登ると尾根に出、その北に平坦地がある。少し登ると腰郭があり神社がありその背後に櫓台が残っている。
【歴史】 築城時期は定かでないが、源義家の家臣伴助兼が築いたといわれる。
応永七年(1400年)塩松を支配していた宇都宮氏が斯波氏に敗れた後、斯波氏の一族・石橋棟義(むねよし)の統治となり、古館を居城とした。
その後、5代義衡のときに住吉山城へ居城を移した。8代尚義は再び古館に居を移した。2つの四本松城(ここ住吉山城と、西方1kmの四本松城)は石橋氏代々の持城であった。
しかし、永禄十一年(1568年)石橋氏8代尚義(久義)は家臣であった小浜城主・大内備前守義綱や百目木城(どうめきじょう)主・石川弾正らによって攻め滅ぼされ、四本松城は廃城となった。