横手城 (よこてじょう) (朝倉城)
所在地 秋田県横手市城山町29−1 2013.8.1 2016.8.5
横手城 (よこてじょう) (朝倉城)
所在地 秋田県横手市城山町29−1 2013.8.1 2016.8.5
二の丸東側・駐車場
武者溜跡
二の丸・模擬天守・資料館
小野寺氏彰徳碑
大手門石段
本丸跡・秋田神社
横手城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【案内・感想】 二の丸東側まで車で行くことができ駐車場が用意されている[マップコード138 263 174*45]。
北側の二の丸に天守は元々なかったが、模擬天守の資料館・展望台(表記番地・昭和40年鉄筋コンクリート造)が建てられている。また「小野寺氏彰徳碑」が建てられている。
中間の一段低い「武者溜跡」の西に大手門の石段が残り、中央に噴水が設けられている。
南側に四阿の建つ帯郭があり、石段を登ると本丸跡があり、秋田神社が建てられ、「朝倉城本丸阯」の石碑がある。
【歴史】 室町時代後期に豪族小野寺氏により築城された。以後、仙北3郡を所領とした小野寺氏代々の居城であった。
慶長五年(1600年)の関ヶ原の戦いで、城主小野寺遠江守義道は石田三成方とみられ翌年、所領を没収され石見国へ配流された。
慶長七年(1602年)佐竹氏が水戸より久保田城に転封されたとき、城代には伊達盛重、伊達宣宗続いて須田盛秀が入った。
その後、寛文十二年(1672年)に佐竹氏一門の戸村義連(戸村義国の嫡孫)が入城して以降、代々「十太夫」を称した戸村氏宗家(戸村十太夫家)が明治まで務め、久保田城の支城として役目を果たした。
慶応四年(1868年)の戊辰戦争で新政府軍につき、八月十一日佐幕派の庄内藩に攻められ、砲火により城は炎上、兵21名を犠牲にし、落城した。