岩原城 (いわはらじょう)
最寄地 神奈川県南足柄市岩原1016-1 2016.1.16 1.23
岩原城 (いわはらじょう)
最寄地 神奈川県南足柄市岩原1016-1 2016.1.16 1.23
想定図
八幡神社前空堀
大手堀
西郭・空堀
岩原城址の標柱・石塔
岩原城 西郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 「南足柄市おかもと福祉館」(表記番地)[マップコード57 465 391*02] の南に、「大手堀道」を挟んで三の郭跡があり、蜜柑畑となっている。
その西250m付近に「岩原城跡」の朽ちた案内標識があり、民家の横をゆくとすぐ小高い西郭跡がある。「岩原城址」碑や説明板が建てられている。また五輪塔、石塔や「南無阿弥陀佛」と刻まれた供養塔がある。
周囲に空堀跡が残り、畑として使われている。その東の民家付近が本城跡である。
東の八幡神社に向かう道路は空堀跡である。また、八幡神社裏に土塁が残っている。
【構造】 箱根外輪山明神岳から東方に延びた、標高60mの丘陵の南斜面に位置している。
東西約250m、南北約100mの範囲に、本城郭・二の郭・三の郭・西郭などの郭を区画するように、空堀が設けられ、上流約2kmの矢佐芝川からの取水堰を城内に引き込んだ平山城であったと想定される。
【歴史】 室町時代、文中三年(1374年)頃、大森頼春によって築城された。大森氏は駿河東部を本拠とし、箱根を越えて勢力を伸ばし、足柄地方に勢力を振るっていた河村氏や松田氏、曽比氏、栢山氏らと対抗した。
頼春の子氏頼は小田原城主となり、のち嫡子の実頼に小田原城を譲り、自身は岩原城を守っている。氏頼は明応三年(1494年)死去し、実頼には先立たれていたので家督は次男の藤頼が継いだ。
明応四年(1495年)伊豆国を支配していた伊勢平氏流の伊勢盛時(北条早雲)が大森藤頼より小田原城を奪った。同時期に岩原城も落城し、廃城となったと考えられる。