藤沢城 (ふじさわじょう) (鍋山城)
最寄地 栃木県栃木市鍋山町1468 2021.7.19
藤沢城 (ふじさわじょう) (鍋山城)
最寄地 栃木県栃木市鍋山町1468 2021.7.19
登城ルート
県道横の入口道標・遠景
90m先の道標
矢場の標識・祠
虎口の祠
本丸の標識
本丸北の空堀
藤沢城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高30m】
【感想】 栃木市鍋山町にある永野川に向けて伸びた比高約30mの丘陵先端部に築かれている。
本丸は物凄い矢竹の薮となっており、全貌は見られなかったが、背後に弧状の空堀が何とか確認できた。
【案内】 県道32号線「大久保バイパス」に道標が建てられ、その横の広い歩道に駐車した[マップコード722 093 274*61](地図)。
県道北側にも道標があるが、門構えの民家を通らなければ行けずこちらを勧めたい。
そこより北へ90m程の所に道標があり、登って行くと矢場と呼ばれる傾斜地に着き祠が祀られている。
所々に木道があり、矢場を登って左に行くと説明板が建てられている。その上の虎口にも祠があり、矢竹の薮の中に「本丸」の標識が建てられている。
薮の間を北に行くと土塁、空堀が東西に伸びており、その先はフエンスが巡らされている。
【歴史】 源頼朝の6代目の島津大隅守盛忠は佐野氏を頼って家臣となり秋葉城(不摩城)を預けられた。
島津盛忠の6代目丹後守親治は小曽戸氏(おそどし)の祖となった。親治の次男は梅沢隼人正を名乗り、梅沢に屋敷を構え、佐野氏の武将として活躍し不摩城の出城として永野川対岸に藤沢城を築いた。
唐沢城主・佐野泰綱の3女由良子は藤沢城主・小曽戸摂津守行家に嫁ぎ図書之助を生んだ。
永禄二年(1559年)関東北部を手中にせんと北条氏政は唐沢城を攻めた。
藤沢城主小曽戸図書之助は唐沢城に馳せ参じ、佐野昌綱の元で北条軍と戦い持ちこたえ、3日後上杉軍の来援を知った氏政は大中寺で謙信と和睦した。その後、図書之助は戦功を讃えられ、上杉謙信から感状を与えられた。『現地説明板』より(一部加筆)。