大堀山城 (おおほりやまじょう) (大堀山館) (県の史跡)
最寄地 埼玉県川越市下広谷339 2015.1.29
大堀山城 (おおほりやまじょう) (大堀山館) (県の史跡)
最寄地 埼玉県川越市下広谷339 2015.1.29
登城ルート(緑線は車道)
大手・城跡説明板
本郭南側の空堀
本郭土塁
本郭北東の神明社
北側三の郭空堀
北側三の郭土塁
大堀山城 大手跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 川越市下広谷にある方形の平城であるが、空堀、土塁が思った以上によく残っている。ただ、放置され草木が多いのが残念だ。
【案内】 県道256号線の圏央道下より南東に約200m行き左折、東に約120m行くと駐車スペースがあり[マップコード14 127 311*06]、城跡入口に説明板が建てられている。
北に一辺約200mの三重の堀と土塁で囲まれた方形の縄張りとなっている。空堀で囲まれた二の郭の中に、さらに空堀で囲まれた本郭がある。
本郭は東西約100m南北約60mの方形で中央に巾約20mの土塁が築かれ、土塁の北東に「神明社」が祀られている。
二の郭の北に東西約200m、南北約40mの三の郭があり、その北に空堀・土塁が残っており、外周道路に面し、説明板が建てられている(地図)。
平成十六年(2004年)3月23日、埼玉県の史跡に指定された。
【歴史】 川越城をめぐって山内、扇谷両上杉氏の戦いの舞台となったのが大堀山城を含む一帯であり、天文十五年(1546年)の川越夜戦などの際、陣所としても使われたのではないかと、一説にある。
大堀山城の東には、南関東と北関東を結ぶ鎌倉街道が通っている。県道256号線は、扇谷上杉氏の川越城と鉢形城、山内上杉氏の五十子陣(本庄市)を繋ぐ当時のルートに重なっており、軍事的・経済的重要拠点に築かれたと考えられる。