金山城 (かねやまじょう) (金山要害)
最寄地 宮城県伊具郡丸森町金山表小路12 2013.11.8
金山城 (かねやまじょう) (金山要害)
最寄地 宮城県伊具郡丸森町金山表小路12 2013.11.8
米蔵跡
中丸・陸橋跡
本丸虎口
出丸跡
本丸石垣
本丸跡・説明板
金山城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高90m】
【案内・感想】 西側の金山神社(表記番地)を通って登る[マップコード332 216 341*05]。社殿の左より杉林を抜けると、米蔵跡の曲輪がある。
硝煙蔵跡、中丸跡に架かる陸橋跡を通り、出丸、本丸に至る。標高117.1m比高約90mの頂上本丸には案内板が建てられ、石垣がよく残っている。
北側の集落より南に行った、行き止まりにも登り口があり、駐車スペースがある(地図)。
【歴史】 永禄年間(1558~70年)相馬氏の家臣井戸川将監、藤橋紀伊が築城したと言われる。
その後伊達氏、相馬氏の争奪戦が展開され、天正九年(1581年)には伊達政宗が初陣を飾り、同十二年(1584年)に伊達氏の領有となった。そして政宗の家臣中島宗求が二千石で拝領した。
慶長二十年(1615年)閏六月発令の「一国一城令」により金山要害と称し、引き続き中島氏が明治維新まで居住した。