秋田城 (あきたじょう/あきたのき) (出羽柵)(いではのき) (国の史跡)
所在地 秋田県秋田市寺内大畑4‐1 2013.8.2
秋田城 (あきたじょう/あきたのき) (出羽柵)(いではのき) (国の史跡)
所在地 秋田県秋田市寺内大畑4‐1 2013.8.2
大路・東門・塀
平面復元正殿
平面復元北東建物
縮小模型
秋田城跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【案内・感想】 「秋田城跡出土品収蔵庫」(表記番地)駐車場の西に大路・政庁東門・塀が復元されている[マップコード88 265 457*54]。
その前に城跡の縮小模型が造られている。門をくぐり中に入ると草の敷地に、平面復元の短柱が元の位置に建てられている。
【発掘調査】 昭和34年(1959年)から同37年には国が直接、発掘調査を行い、昭和47年(1972年)からは継続して秋田市教育委員会により発掘調査が実施された。
発掘調査によって明らかにされた竪穴住居跡や掘立柱建物跡、井戸跡などは、平成6年度(1994年)から同9年度で外郭東門と築地塀が実物大で復元された。
昭和十四年(1939年)9月7日、国の史跡に指定された。
【歴史】 大和朝廷は和銅元年(708年)蝦夷の制圧のため出羽郡を設置、和銅五年出羽国に昇格させた。このころ拠点として現在の酒田市に出羽城柵を造った。
中央政権の勢力が北進したことにより天平五年(733年)出羽柵は現在の秋田市へ移された。秋田市へ移設される前の出羽柵は庄内地方、赤川の河口と羽黒山の中間地域に設置されたとも見られるが、詳しい所在地は不明である。
天平宝字四年(760年)頃秋田城に改名された。
天長七年(830年)に起きた出羽大地震により秋田城の建物は倒壊した。発掘調査で十一世紀の遺構が確認され、このころまで秋田城は存在したと言われている。