石塚城 (いしつかじょう)
最寄地 茨城県東茨城郡城里町石塚1577 2019.6.12
石塚城 (いしつかじょう)
最寄地 茨城県東茨城郡城里町石塚1577 2019.6.12
登城ルート
入口の城跡標柱
外郭
外空堀
内空堀(左)
主郭虎口の土塁
主郭
石塚城跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 城里町石塚の那珂川右岸台地の北端に築かれた崖端城となっている。
主郭は竹林となり、約80m×60mの規模で、土塁や南から東側にかけて空堀がよく残っている。 主郭の東側は藪化している。
【案内】 国道123号線「笠間街道入口」交差点より北に200m余行くと、右側入口に城跡標柱が建てられている[マップコード47 510 794*24]。その横の住宅跡の空き地に駐車した。
東に行くと、外郭に住宅が建ち並び、手前から左に堀道を下ると、南西の郭があり、その前後に空堀が残っている。空堀は南から東側に伸びている。
【歴史】 佐竹氏9代佐竹義篤の3男宗義が那珂西郡石塚郷、久慈郡西遠野村、多珂郡桜井郷、多珂郡木佐良村を譲られ、石塚氏を名乗った。
当初下圷館を築いて居住し、正平十七年(1363年)に石塚城を築いたと伝わる。
文禄四年(1596年)石塚氏は佐竹義宣の命で片野城に移され、石塚城には佐竹東家の義久・義賢父子が入城した。
慶長七年(1602年)佐竹義宣の秋田転封後は、久保田城下の東根小屋町に屋敷を構え、家老を勤めたという。