五覧田城 (ごらんだじょう) (五乱田城)
最寄地 群馬県みどり市東町荻原188 2013.11.29 2022.6.18
五覧田城 (ごらんだじょう) (五乱田城)
最寄地 群馬県みどり市東町荻原188 2013.11.29 2022.6.18
登城ルート(緑線は車道)
高橋登山口
4郭・四阿
4郭西の堀切
主郭・三角点
主郭5郭間の堀切
手前が6郭・堀切・5郭
主郭北郭間の堀切
北の郭・堀切
五覧田城 主郭跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高240m】
【感想】 みどり市と桐生市の境にある標高593.1mの要害山に築かれている。頂上の主郭跡は東西50m南北16mの規模であり、東、西、北の尾根筋に沿って計14ヶ所の曲輪が並んでいる。東の4郭からは渡良瀬川の渓谷及び山々が望め素晴らしい。
1回目の訪問では四阿のある所が主郭と勘違いしたが、今回西側の郭など確認でき、規模の大きさを改めて感じさせられた。
帰りは駐車場から林道を下ったが永らく使われず荒れており、入り口が通行止めとなり、距離も長い。倒木など多く潜ったり越えたりするが、高橋口からの遊歩道を薦めたい。
【案内】 国道122号線に面した「桐生消防署黒保根東分署」(表記番地)の南150mから西に250m行き、鋭角に右折し林道を1㎞ほど行くと、城跡の高橋登山口に「五覧田城址入口」の石碑、説明板が建てられている[マップコード261 351 668*15](地図)。
谷筋を通り尾根に登り約1000mの倒木の多い遊歩道を登ると、開けた駐車場に着く(地図)。
更に300mほど登ると、南の堀切、四阿のある4郭に着く。4郭には祠が二柱祀られ、説明板が建てられている。
西側に下ると、堀切があり、その西に狭い2、3郭があり要害山頂上(標高593・1m比高約240m)の主郭跡に着く。主郭は南側が低く窪んでおり、西側が高く 三角点がある。
主郭西に堀切、5郭、堀切、6郭と並びその西尾根 にも細長い郭がある。
戻って、三角点から北側に下ると北郭があり、その先に深い堀切、小郭、浅い堀切、細長い郭があり、北端に一段下がって小郭が見られる。
【歴史】 五覧田城は、戦国時代、沼田から黒川谷に通じる利根道を抑えるため、黒川郷士により築かれた。
天正二年(1574年)三月上杉謙信に攻略されたが、同年九月に北条方の由良国繁が「五覧田根小屋」を攻め落とし立て籠っていた沼田衆三百人を討ち取った。
天正七年(1579年)五月に北条氏政は由良国繁と協定を結び、深沢・五覧田両地を明け渡した。
天正十二年(1584年)由良氏が北条氏より離反すると、北条氏は七月、阿久沢・前原・目黒などの土豪に命じて五覧田城を攻め落した。北条氏直の命により、同年、此の地方の土豪阿久沢能登守彦三郎が整備した。
天正十八年(1590年)北条氏の滅亡で廃城となった。『現地説明看板』より。