明利又城 (あかりまたじょう) (市の史跡)
最寄地 秋田県北秋田市七日市階沢口41 2017.10.28
明利又城 (あかりまたじょう) (市の史跡)
最寄地 秋田県北秋田市七日市階沢口41 2017.10.28
登城ルート(緑線は車道)
浅利氏墓碑群
登り口
段郭
副郭
次の段郭
主郭
主郭南東下の堀切
明利又城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高120m】
【感想】 小猿部川上流の羽立集落南の標高271mの山頂にあり、大小の階段状の郭が並んで配置され、南東斜面に堀切が2条残っている。
【案内】 県道111号線より表記番地に曲がる地点に説明案内板が建てられている。県道を東に200mほど行くと左側に浅利氏墓碑群がある(昭和40年頃県道工事で移され、13基の内7基が保存されている)。
南へ400mほど行く[マップコード229 044 535*52]。左に作業小屋があり、奥の土手から登って行ける(地図)。手前に駐車し徒歩が良い。
北西に段郭があり、2段の副郭の南東に幅約10mの細長い主郭がある。急斜面の先に堀切が上下2段になって残っている。
明利又城跡と浅利氏墓碑群が、昭和六十一年(1986年)6月12日、北秋田市の史跡に指定された。
【歴史】 文治五年(1189年)源頼朝の奥州藤原攻めで功のあった甲斐出身の浅利氏が比内地方の地頭を賜り、築城者ははっきりしないが一族が築き拠点とした。
南北朝時代、浅利氏は北朝方に属し南朝方の南部氏と対峙した。
その後浅利朝頼の子の則頼の代、永正十五年(1518年)鹿角に勢力を拡大し、十狐城を築き拠点を移した。