小田野城 (おだのじょう) (小田野屋敷) (国の史跡)
所在地 東京都八王子市西寺方町 2015.1.16 2017.2.17
小田野城 (おだのじょう) (小田野屋敷) (国の史跡)
所在地 東京都八王子市西寺方町 2015.1.16 2017.2.17
案内板
空堀・桝形状遺構
南側遺構と削平部分
北側遺構と削平部分
北側遺構
腰曲輪
小田野城跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 都道61号線「タウン入口」より東に行ったグリーンタウン高尾団地の西側にある「観栖寺台公園」に由来説明・城跡図板が建てられている[マップコード23 287 812*00](地図)。
公園南端に扉があり、下ると空堀・土橋があり、左に登ると桝形状遺構があり、石垣で養生された切岸がある。その上部が近年削平された主郭で、北に主郭の一部が残る。北側に腰曲輪がある。城跡は都道61号線の小田野トンネル直上にある。
【発掘調査】 江戸時代にあらわされた「武蔵名称図会」北条氏照の家臣小田野源太左衛門の屋敷跡と云う伝承が簡単に紹介されている程度で、注目されていなっかった。
昭和54年から55年にかけて都道61号線の建設に伴って、発掘調査を実施したところ、十六世紀後半とみられる数段の腰曲輪、桝形状の遺構や空堀等が発見された。その結果都道はトンネル構造に設計変更され、城跡遺構は保存された。
そして昭和五十八年(1983年)3月28日、八王子城跡の一部として国の史跡に追加指定された。主郭部分が過去に削平を受けたため、不明な部分があるが、八王子城の出城として機能していたと考えられる。『八王子市教育委員会説明板』より。
【歴史】 天正十五年(1587年)八王子城の築城と同時期に、北条氏照の家臣小田野源太左衛門が築城した。
天正十八年(1590年)豊富秀吉の小田原征伐に際して上杉景勝により、八王子城に先立ち攻められ大激戦の末、落城した。
小田野源太左衛門は小田源左衛門と改名して、水戸徳川家に士官した。