丸子館 (まるこだて) (三ケ尻館) (町の史跡)
所在地 岩手県胆沢郡金ケ崎町三ケ尻清水端30 2021.5.24
丸子館 (まるこだて) (三ケ尻館) (町の史跡)
所在地 岩手県胆沢郡金ケ崎町三ケ尻清水端30 2021.5.24
登城ルート
入口標柱
見取図
三瓶屋敷(奥が丸子館)
丸子館跡の標柱
丸子館
前館・空堀
丸子館跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 北上川右岸の金ケ崎段丘の東端に位置し、西側には奥州街道(旧国道4号線)が南北に通っている。
方形に区画された「前館」「後館」「丸子館」「三瓶屋敷」の4つの郭から構成されている。
前館は民家敷地となり、他の3つは耕作放棄地の様で鬱蒼としている。
【案内】 西側を通る市道(旧国道4号線)入口に説明板が建てられている[マップコード108 164 240*63](地図)。
東に行った左手に「丸子館跡」の標柱があり、「前館」は民家敷地(表記番地)となっている。
切岸を登ると丸子館があり、草地となっている。
館跡は金ケ崎町の史跡に指定されている。
【歴史】 『参考諸家系図』(盛岡藩の古文書)によると、三ケ尻七郎清義「三ケ尻館住」と記されている。
三ケ尻氏は葛西三郎詮義の3男清義を祖とし、2代又次朗清秀、3代加賀恒逢まで三ケ尻の丸子館に居住したとされる。
元は「甕尻(甕知)」と呼ばれていたが、清義の時に「三ケ尻」に改めたと云われる。
天正十八年(1590年)豊臣秀吉の奥州仕置により、主家の江刺氏は葛西氏(江刺市の主)と共に没落した。
江刺氏は老中であった三ケ尻加賀の働きによって、南部信直に仕えることになり、家臣となった三ケ尻氏は慶長八年(1603年)南部領の和賀郡倉沢館(現在の花巻市東和町倉沢)の館主となり、丸子館は廃城となった。『現地説明板』より。