加納城 (かのうじょう)
所在地 埼玉県桶川市加納2044‐16 2015.2.19 12.23
加納城 (かのうじょう)
所在地 埼玉県桶川市加納2044‐16 2015.2.19 12.23
説明板
公園・説明板
城跡碑
北側堀跡
空堀・土塁
加納城跡模型
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 「城跡団地コミュニティ会館」(表記番地)の南西約50mにある三角形の公園に説明板が建てられ[マップコード14 383 854*10] (地図)、北に外郭堀跡が見て取れる。
また、南東直線距離約100mの民家前に「加納城跡」石碑があり(地図)、無線鉄塔の横に説明板が建てられている
その西に内郭の空堀と土塁がL字型に残っている(地図)。
また「桶川市歴史民俗資料館」(桶川市川田谷4405-4)に加納城跡模型が展示されている。宅地化で大部分の遺構は消滅している。
平成九年(1997年)10月1日桶川市の史跡に指定された。
【発掘調査】 昭和四十二年(1967年)の発掘調査以前は、内郭、外郭に区分される縄張りが、土塁や堀からはっきりと観察でき、その配置は回字状になり説明板図の通りであった。
出丸を含む内郭は面積11,400㎡で、内郭を含む外郭は、面積43,000㎡に及んだ。北、東の二方には堀と土塁が巡り、南側については、現在の市道の下に規模の大きな堀が存在することが確認されている。
昭和四十年代の住宅団地造成で、その遺構の大部分が失われた。『桶川市教育委員会説明板』より。
【歴史】 城の沿革及び居住者については不詳である。おそらく戦国時代に自らの領地を守るべく、この地の土豪により築かれた。岩槻太田氏の支配下にあった「鴻巣七騎」と呼ばれた土豪の一人である本木氏と推定されている。徳川家康が関東に入部したときには、帰農し郭外に出てしまったものと思われる。『桶川市教育委員会説明板』より。